日本史部会
一、古代の「告文」についての再検討
広島市立大学 山口えり
告文とは『国史大辞典』では「仏教儀礼によって神仏に奉る願文と趣旨は同一であるが、告文は神祇に限って捧げる文書である。文体は宣命体であり、書体は楷書体であって、古代よりそれらの様式には変化なく踏襲された」文書様式であると定義される。しかしながら、日本古代の告文と明記された文書を確認していくと、その実態はやや異なる。『日本三代実録』所収の告文は、実際には神祇のみではなく、山陵(天皇陵)にも捧げられており、その告文は全て「天皇」より発せられた形式をとっている。一方、『朝野群載』所収の告文には、漢文体のものもあり、祈願の対象には、帝釈天・弘法大師尊像が挙げられ、神祇に限定されてはいない。また、これらの告文は、「皇帝」に限らず、皇后や太政大臣・関白・参議が捧げる形式となっている。当時の王権の願望が如実に表出する「告文」とはいったいどのような文書なのか、何が書いてあるのか、再検討していきたい。
二、郡司の裁判権とその特徴
―獄令・儀制令の検討と唐格継受の問題を中心に―
九州大学 落合達哉
日本の律令裁判では、五刑(笞・杖・徒・流・死)を執行する権限が在京諸司・郡司から天皇までの各審級によって分かれ、郡司の執行権は笞刑のみとされる。ところで、裁判権に着目した場合、国司や太政官は下級審たる郡司が死刑まで、たとえば杖幾十、徒幾年のように具体的に下した判決を覆審していたのか、それとも郡司が具体的に判決し得る刑罰には制限があったのか問題となる。六国史による限りは史料的制約が強く論証に難があるものの、獄令2の義解には軍毅が下した杖刑判決は在所の郡に送り、徒刑以上なら国に送るとあることから、郡司は徒刑以下を下し得るに留まることが明らかである。また、郡司内にて犯罪の一形態(官人による位蔭をたのんだ犯罪)が発生した場合、郡領が杖百以下の十等を裁量によって執行すると儀制令23の義解・集解諸説は説くことから、郡司の裁判権は杖刑以下と考えられ、同時にその裁判権には律令官僚としての自律性を見い出せる。
三、平安貴族社会の定穢における神祇官・陰陽寮の位置
広島大学 森木 琉
天皇と貴族からなる平安貴族社会は、神を祀ることで社会の安定的存立をはかっていた。
従来はこうした関係の構築・展開過程に焦点が当てられたが、この関係を維持するための方法・手段は等閑に付されている。そこで注目されるのが、穢の管理である。貴族社会では、神は穢に接触すると祟りをもたらすと考えられ、穢の管理が前述の神との関係を保つにあたって重要な政務処理とされ、定穢と呼ばれた。
定穢には様々な官司が関与したが、神祇官と陰陽寮は占いをもって本政務に奉仕した。しかし現状では、占いを行っていた事実が指摘されているのみで、政務構造の中に神祇官・陰陽は位置づけられていない。
そこで本報告では、占いに至るまでの命令系統および、定穢に関与する他官司との活動タイミングの比較を通して、神祇官と陰陽寮を定穢の政務構造の中に位置づけることを目指す。さらに、便利で確実な情報を得られる手法と自明視される、占いの限界にも迫りたい。
四、戦国期長宗我部氏の「外交」関係
広島大学 則武耕太
「石谷家文書」の公開以降、四国の情勢は四国内部の領主の動向のみならず、足利義昭、毛利氏などの中国地方の領主、織田信長、羽柴秀吉などによる中央の政治の情勢に大きな影響を受けていたことが明らかとなった。
一方で長宗我部氏と他勢力との関りについて個別に取り上げられた研究が殆どで、長宗我部氏が土佐以外の地域に進出する天正0年代から秀吉による四国平定が起こる天正13年までを通して論じている研究は乏しい。その為、天正0年代~13年までを対象時期とすることで、長宗我部氏の権力形成から崩壊までを見通せると考えられる。そこで本報告では長宗我部氏が如何なる指針を持って他勢力と関わっていったのかを検討し、他勢力との関係形成・断絶が四国内の政治情勢にどのような影響を与えたのかを分析する。それにより、戦国大名の「外交」活動が大名権力に如何なる影響を与えたかを見る。
五、桜田門外の変後の長野主膳の行動
広島大学 田中文浩
本研究は、井伊直弼の側近である長野主膳の、万延元(1860)年に桜田門外の変により井伊直弼が横死してから、文久2(1862)年に彦根藩によって斬首されるまでの行動を分析したものである。主膳は、直弼の彦根藩主就任以前は直弼の国学の師であったが、直弼が藩主に就任すると、彦根藩士として召し抱えられた。直弼の大老就任後は、京都で情報探索や周旋を行い、安政の大獄にも深く関与した。主膳の研究は、側近時代に注目されており、直弼死後の主膳の行動を詳細に分析した研究はほとんどない。しかし、主膳は直弼の死後も、和宮降嫁に深くかかわっており、当該期の分析をする価値は十分にあると考えている。分析するにあたって、『大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料』に所収されている史料を中心に、特に和宮降嫁において主膳が、どのように考えて行動し、どのような役割を果たし、どのような影響を与えていたのかを読み解く。
六、明治初期におけるイギリスから見た日本の近代国家形成過程
長崎大学 田口由香
本研究の目的は、19世紀の国際関係のなかで、日本の近代国家形成過程を相対的に解明することである。19世紀後半、ヨーロッパにおいて勢力均衡による国際秩序が変容するなか、アジアに進出する欧米列強を前に、幕末維新期の日本はどのように中央集権的な近代国家を確立し、独立した主権国家として国際社会に参入していくのか、また、明治新政府はどのように国際社会に承認されていくのか、世界のなかの日本を視点として検討する。
イギリス駐日公使パークスは、大政奉還後の体制を立憲君主制と想定し、明治元年には天皇に信任状を提出する(二〇二三年度日本史部会)。日本国内では、主権の将軍から天皇への移譲、行政機構の幕府から明治新政府への移管など、政権移行の改革が進められる。本報告では、イギリスを視点として、日本の政権移行や中央集権化の諸改革がどのように認識され、日本は近代国家としてどのように国際社会に位置づけられたのかを検討したい。